01.はじめに
『浜文・味の旅』第4巻の原稿を印刷所にまわして1段落した直後、膝半月板の手術をした。歩けないまま、いらだちと焦りで3週間が経つ。
まだまともには歩けないが、必ずや以前のように、「旅をし」「食い」「書く」ということを始めるよう計画している。
第5巻が出版できるかどうか分らないが、残された我が人生、これしかないからだ。順序として逆になるが、「書く」ことから始めた。
まず、現在の「医療」について考えてみた。今回のわが身が受けた経験から、記憶が薄れないうちに患者の立場に立って記録に留めておきたい。
右膝半月板の損傷・手術は、10年前に経験した。手術後完治せず、リハビリのつもりで「歩く」ことを積極的にした。勢いに乗じて「街道歩き」につながり、『味の旅』の結果になったが、いつも疼痛との戦いであった。それでも執念ともいえるように歩き続けた。
歩き続けて10年、歩き過ぎたのか、老化現象の結果なのか再び半月板の損傷になった。
横浜でも整形外科では評判の高い病院を選んで、紹介されて外来で受診した。
最初に診断をくだし、入院・手術を手配してくれた医師は、その日限りで2度と患者にタッチする機会がない。
手術前日の入院から翌日までは、病棟の看護婦が入れ替わりで見回りにくるだけである。病棟勤務の医師は、手術日の朝、一度だけ顔をみせた。
手術を担当した医師の顔をみる機会はない。手術の翌日に回診にきた医師は手術を受け持ってくれた医者ではない。よかったら今日の退院でもかまわない、と言う。
1週間後の通院で外来に行くと、また別な医師が、今度は2週間後にいらっしゃいと言う。
そして、そろそろ3週間が経つ。松葉杖は放して家の中での生活はできるようになったが、外出して50メートルも歩けない。痛みをこらえて歩くので反対側の膝まで痛い。
これは順調な治癒経過をたどっているのか、相談する医師が見当たらない。「主治医」と書いてあるのは整形外科の医局長の名前であろうか、その医師とは1度も顔を合わしたことがない。
この病院は、スポーツ医学の標榜を掲げ、スポーツ選手の怪我の治療を得意としているという。若い人の治りは早い。2泊3日で帰っていく。知り合いの元看護婦が言った。「あの病院の整形外科は、病院というよりスポーツ選手の合宿所です」と。
現代医学は確かに進歩した。手術時間は短縮され、その日に退院できるようになった。「白内障」の手術は5分で終わる。殆んどの患者が明るさを取り戻す中にあって、ウチの家内は失敗した。
以前は2週間も入院した「子宮筋腫」も、翌日には退院できる時代がきた。早ければいいというものではない。医療ミスが増えている。
病院経営も苦しい中でそれなりに対応している。患者は、病院のシステムの中でベルトコンベアーに乗っかっているように引き回されている。患者はいつも弱い立場にいる。これも「医療」という1つの形態なのかも知れない。
歯医者は違う。最初から最後まで責任を持って医療をおこなっている。患者と医師との「信頼」が中心になっている。
歩けないのはつらい。こんな医療の矛盾を書いていることはもっとつらい。
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