そばの話

   

院長の父親である大先生・浜野文夫が約30年にわたって全国各地の「味の旅」13巻のアーカイブ集です。

先日、久しぶりにふるさと長野に行って、お美味しいそばを食べてきた。かつて、 友人のひとりはこう述べている。
「…君には良き故郷がある。再三再四、文中に信州新町を軸に長野が登場する。故郷 は、君が苦悩する時、悲しい時、そして楽しい時も嬉しい時も、君の土壌であり視座 なのである。君はそこに戻る度に蘇生する。渾沌は癒され、単純におらが蕎麦は最高 だというところに繋がる」とあった。また、もうひとりの友人は、こう述べている。 「…さて、最後の一飯であるが、死ぬ寸前に何が食いたいかと問われたら、私なら炊 きたての白米にバターを乗せ、醤油をたらして掻っ込むと決めている。浜野君は生ま れ故郷信州の〝そば〟だと思う」とあった。お二人とも、浜文と「そば」をつなげて いる。料理にも、皆それぞれのお国自慢というものがある。「信濃では、月と佛とお らがそば」(一茶)、と言われているが、あまり自慢にならない。元来、田んぼや畑に ならない痩せた土地に育つ蕎麦は、山間僻地の重要な食料だった。

そばの原産地はバイカル湖からインドに及ぶアジア東北地帯であって、日本に伝来 されたのは、朝鮮半島から対馬(つしま)経由で、八世紀初め(天平時代)頃であったと 思われる。
日本に伝来されたそばは伊吹山のあたりから、木曽路を通り、甲州、信濃にひろが り、やがて日本の山間部にひろく播種されるようになった。
その頃のそばの食べ方は、「そばがき」として、そば粉に熱湯をかけてかきまわして 食べていた。そばはこの「そばがき」の時代が長く続いていた。
「そば切り」として食べるようになったのは三百年ばかり昔、江戸の庶民からだっ た。江戸という大都会が、そば切りを自分たちの一番馴染みの深い食品にまで変えた のだろう。

 ソバ喰うや 江戸の奴らが 何知って(一茶)

東京はそばの産地ではないから、柏原、戸隠、妙高に至る信越国境地域のそばを味わ うことができたに違いない。ところが今や、北海道、茨城、山形などのそばならまだ しも、アフリカ、カナダ、中国産である。まして「そばどころ」と言われる信州も同 じだ。

 

最近、「信州のそばが美味しくない」と聞くようになって久しい。今さらではな い。戸隠出身の人は「戸隠にはそばを作っている農家はありません。そば屋で使うカ ナダ産をお持ちしました」と頂戴したのは50年前である。今も国内産は10㌫以下だ といわれている。 近年は戸隠村でも栽培面積が増え、信濃町、牟礼、鬼無里、中条 村なども栽培するようになった。北海道、茨城、山形などもそば作りが盛んだ。かつ て、年に二度ほど長野に帰省していた頃があって、その都度、必ずと言っていいほど 「そば屋」に立ち寄ることにしていた。

長野市では『大丸』、『二本松』、『蔵之内』などで食べたが、それほどまずいと思 わなかった。木曽路では『くるまや』、『越前屋』、『本山そば』、『源氏』、『マ ル泉』、『ていしゃば』などである。特に「ていしゃば」では、開田高原・日和田高 原玄そばを石挽き自家製粉して、茹でたてのコシのある本格的な「信州そば」を堪能 した。また、戸隠の『鷹(おう)明亭(めいてい)・辻旅館』は、創業平安時代から続く 修験者の宿坊である。その店では、〝そば会席〟を食べたが、会席料理は量と数が多 すぎる。余計なものは残して〝ざるそば〟だけは残さず食べ尽くして、実にうまいと 思った。上田市の『刀屋』は行列のできる店で、「もり」の一人前が食べきれないほ ど量が多く、それを二人前食べるほどの人が多い。それほどうまい。

 

このように「信州そば」は、どこで食べてもそれほど「まずい」とは思わなかっ た。そもそも、食べ物というものは、その土地で食べると、その土地の匂い、水のう まさ、風の音、純朴な人との出会いがある。また、この土地で食べたら「うまい」と いう思い込みもある。「信州そばがまずい」と経験したことのある人は、本当にうま いそばに出会っていないからだ。
長野市には何十軒ほどの「そば屋」があり、それぞれ特徴がある。たまたま「まず い」店を選んだに違いない。

 

先日、孫たちと訪ねた『北野家』では、挽きたて、打ち立て、茹でたてのそばを食 べてきた。善光寺の参道や長野駅にも、「信州そば」として売っているそばがある。
横浜のスーパーなどでも買うことができる。こんなものを食べているから「信州そば はまずい」ということになる。乾麺にも選べば、下手なそば屋より美味しいそばがで きる。長野市に住む甥から乾麺を送っていただく「善光寺縁起そば」は、毎年送って いただき、常備しているが、実にうまいと思う。東京のそばもバカにならない。粋で あることを信条とした江戸っ子は舌も肥えていた。その鋭い味覚に合わせて、江戸の そば屋は工夫を重ねた。東京の名代のそば屋では、昔のままの本節を惜し気もなく 使った「そば汁」を作っている。神田の『藪そぱ』、浅草の『並木藪そば』『神田ま つや』などは、都会の洗練されたそばを食べさせるが、大抵は輸入品でそばの匂いが 少ないのが欠点だ。

 

かつて、日本一(自分ではそう思っている)うまいそばに一度だけ出会ったことがあ り、その味が忘れられないでいる。今では信仰のようなものになっている。「究極の そば」だと思っている。それは信州・更級の山奥の小さな村(大岡村)で、お袋の生家 の初冬であった。採れたての蕎麦の実を、黒い殻の付いたまま、自分で石臼を挽いて 粉にした。風に当たらないように障子を閉め切った部屋で、細心の注意をはらいなが ら叔母が打ち上げてくれた。真っ黒でざらざらした異様なそばが出来上がった。その 時のそばつゆは、大根おろしのしぼり汁に、信州味噌を適当に溶いただけのもので、 他になんのダシも加えない。信州の冬大根の辛さは、口がゆがむほど辛い。なぜか大 根おろしがそばと相性がいい。これを「しぼり汁そば」という。
囲炉裏を背に、ぶるぶる震えながら味わったが、天下一品のそばであった。今でもそ ばを食べるたびに、その時のことを思い出す。 (令和七年四月)



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